NHK BSプレミアム アナザーストーリーズSP 「これがリアル"あさ"だ!女傑 広岡浅子」で、2016年の朝ドラのヒロイン「あさ」は、2014年の朝ドラ「花子とアン」のヒロイン「花子」とは深い縁があったのです。浅子が主催する御殿場の別荘での勉強会に参加した花子が浅子と一緒に撮った写真が紹介され、二人のエピソードについて村岡花子の孫で作家の村岡恵理さんがお話ししていました。
広岡浅子と村岡花子の接点
広岡浅子は1849年(嘉永2年)生まれで、1919年(大正8年)没。村岡花子は1893年(明治26年)生まれで1968年(昭和43年)没。浅子は1914年(大正3年)から亡くなる前年まで、御殿場・二の岡に所有していた別荘に前途ある若い女性を集め、「夏期勉強会」を毎年開催するようになります。この会には、井上秀(後の日本女子大学校初の女性校長)、市川房枝(後に女性参政権獲得運動に尽力、参議院議員に)、小橋三四子(女性記者、後に『婦人週報』を創刊)らが参加。後に新しい時代を切り拓くことになる若き女性達に教え、語らう時間を過ごしています。そうした中に、村岡花子もいました。
花子が「夏期勉強会」に参加するようになったのは1916年(大正5年)のことで、浅子が亡くなる3年前。当時、山梨英和女学校で教師をしていた花子は、「矯風会」(キリスト教に基き女子教育や婦人運動を推進する団体)の活動により浅子と通じ、勉強会に参加するようになります。浅子の言葉「小我に固執せず、真我を見つけなさい」
当時の様子はドラマ「花子とアン」の原作「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」(新潮文庫・村岡恵理著)の中でも触れられていますが(「花子とアン」では、この場面や浅子に相当する人物は登場せず)、まだ「何者でもなかった」田舎の一教師・花子はこの勉強会への参加により、はっきりと作家を志すようになっていきます。
花子は、勉強会において浅子から聞かされた「小我に固執せず、真我を見つけなさい」(自分がしたいことだけに固執せず、社会のために為すべきことを見つけなさい)という言葉に深く感銘を受けます。この言葉に出会ったことが、後に英米文学を日本の若者のために翻訳、出版するという生涯の活動に通じていき、名作「赤毛のアン」の誕生にも繋がっていくのです。
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